こんにちは!哲学が好きなんだけど、専門家でも研究者でもない、ただのファンが好き勝手に語るブログへようこそ。
今回は少し番外編というか、私の哲学好きの「ルーツ」かもしれない話をしたいと思います。哲学書の読書遍歴とはちょっと別の、子供の頃の記憶の話です。
「子供の頃に好きだった本って、実は今の自分と繋がっているのかも」——そんなこと、ふと感じたことはありませんか?
今日は、私が子供の頃に唯一夢中になれた児童書『ギリシア神話』について、当時の記憶と、今になって気づいたことをシェアしてみたいと思います。解釈が飛躍しているところもあるかもしれませんが、それもまた哲学(というか、思い出語り)の面白さということで!
読書嫌いの私が唯一読み進められた本
これは私の読書遍歴とは別に、ずっと心の片隅に残っていた記憶なのですが、子供の頃に好きだった本が一冊だけありました。読書家だった姉が持っていた児童書、トマス・ブルフィンチ著『ギリシア神話』(集英社「子どものための世界文学の森」シリーズ)です。
当時の私は、正直かなりの読書嫌いでした。それなのに、なぜかこの本だけはスラスラと読み進められた記憶があるんです。神々一人ひとりのエピソードが、まるで短編集のようにポンポン展開していく構成だったからかもしれません。
もちろん当時の私はギリシア神話の知識なんて何もありませんでした。ゼウスもアテナも誰が誰やらという状態だったはずです。それでも、なぜか面白かった。理屈抜きに「面白い」と感じた、数少ない読書体験でした。
大人になって、あの記憶がふと蘇ってきた
それから何年も経って、大人になった私は哲学系の書籍が好きだと気づきました。すると不思議なことに、子供の頃に好きだったあの児童書の記憶が、急に蘇ってきたんです。
「そういえば、子供の時に好きだったギリシア神話の本があったな」——そう思って検索してみたら、間違いなくこれでした。表紙のイラストを見た瞬間、懐かしさが一気に押し寄せてきました。
懐かしさもありましたが、それ以上に「自分の子供たちにも読ませてみたい」という気持ちが湧いてきて、思い切って購入してみることにしました。
大人になった今、改めて読んでみて感じたこと
届いた本を、今度は大人として改めて読んでみました。まず驚いたのが、漢字が小学4年生までに習うレベルに抑えられていて、ふりがなもしっかり振られていること。子供向けとはいえ、かなり丁寧に作られている本なんだなと感じました。
収録されているのは、オリンポス12神それぞれのお話。神々と人間がどう関わり、その結果どうなったのか——読んでいると自然と教訓のようなものが見えてくる構成になっています。子供の頃はただ「面白い」としか感じていませんでしたが、大人になって読むと、ちゃんと意味のある物語だったんだなと気づかされます。
特に印象的だったのは、神様といっても人間らしい心や欲をたくさん持っているところです。嫉妬したり、怒ったり、失敗したり。「神様なのに、けっこう人間くさいな」というのが、正直な感想でした(笑)。
それから、これは神話ならではだと思うのですが、「これは本当にあった話なのか、それとも比喩なのか」というのが、はっきり書かれていないんですよね。そこは読者の受け取り方次第、という余白があるように感じました。この「答えを押しつけない感じ」、なんだか哲学書を読んでいるときの感覚と似ている気がして、勝手に親近感が湧いてしまいました。
神話と哲学は、実は繋がっていた
今、大人になった私は、ギリシア神話だけでなく聖書にも手を伸ばして読んでいます。哲学に触れるようになってから知ったのですが、古代ギリシアの哲学者たちにとって、神話というのは世界の仕組みを説明する「共通の常識」だったそうです。
そして哲学は、その「みんなが当たり前だと思っていた常識」に対して「本当にそうなのかな?」と問いを立てるところから始まったのだとか。そう考えると、神話を知っておくことは、哲学の背景を理解するうえでもすごく役に立つのかもしれません。このあたりはまた別の記事で詳しく掘り下げてみたいと思っています。
そう考えると、子供の頃になぜか神話が好きだったことは、実は今の「哲学が好き」という自分に、ずっと前から繋がっていたのかもしれないなと感じています。もちろん、これも私なりの解釈なので、正しいかどうかはわかりません(笑)。でも、そう思うとちょっとロマンがあるなと。
こんな方におすすめ
- 子供の頃、理由もなく好きだった本がある方
- お子さんにギリシア神話を読ませてみたい方(ふりがな付きで小学生から読めます)
- 哲学に興味はあるけど、いきなり難しい本は挫折しそうな方
気になった方は、よかったらこちらからどうぞ。
まとめ:好きだった理由は、後から見つかることもある
子供の頃に好きだったものと、大人になって好きになったものが、実は一本の線で繋がっていた——今回はそんな話でした。
繰り返しになりますが、私の解釈が正しいかどうかは正直わかりません。でも、自分なりに過去と今を結びつけて考えてみること自体に意味があると思っています。それこそが、ソクラテスの「無知の知」的な楽しみ方じゃないかなと。
皆さんは、子供の頃に理由もなく好きだったものが、大人になって繋がった経験はありますか?コメント欄で教えてもらえると嬉しいです!


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