学校の勉強は役に立たない?哲学で考えてみた

こんにちは!哲学が好きなんだけど、専門家でも研究者でもない、ただのファンが好き勝手に語るブログへようこそ。

前回・前々回と「次は哲学と科学の境界線を掘り下げます」と予告していたのですが、今日はちょっとだけ寄り道させてください。というのも、まったく別の目的で手に取った本が、読み終わってみたら思いのほか哲学の話だったからです。

『学校の勉強なんて役に立たないのにやる意味あるの?と子どもに言われたら読む本』。タイトルが長い。でも、この長さがそのまま内容を表しています。

「勉強なんて意味ないじゃん」——子どもにそう言われたとき、大人は何と答えればいいのか。じつはこれ、私自身がずっと答えを持てずにいた問いでもありました。そして読み終えたあと、私の頭には別の問いが残りました。そもそも「役に立つ」って、どういう意味なんだろう?

今日は、この本の感想と、そこから私が考えたことをシェアしてみたいと思います。解釈が間違っているかもしれませんが、それもまた哲学の面白さということで!

『学校の勉強なんて役に立たないのに〜』ってどんな本?

著者は「静岡の元教師すぎやま」さん。10年以上中学校の教諭を務めたのち退職され、現在はYouTubeやTikTokで教育について発信されている方です。SNSの総フォロワーは70万人とのこと。

章立てを見ていただくと、この本が何と向き合っているかが一目で分かると思います。

  • 1章 社会で役に立たない勉強をする意味って何?
  • 2章 学校の勉強がつくる「学びの土台」〜AI・SNS時代を生き抜く戦略と教養
  • 3章 主要5教科は受験以外で使わない?
  • 4章 技能教科なんてオマケでしょ?
  • 5章 でも勉強ってそもそも楽しくないよね?
  • 6章 なんで学校に行かなきゃいけないの?

全部、子どもが実際に言いそうなセリフなんですよね。ひとつも逃げていない。この目次を書店で見た時点で、ほぼ買うことは決まっていました。

読んでみると、想像以上に平易で、そして誠実な本でした。私が特に良いと感じたのは、「子どもにはこう説明すればいい」という便利なテンプレートを配る本ではなかったことです。

この本がまず時間を割くのは、今の教育現場と昔の教育現場がどう違うか、そして子どもたちが生きている時代が親世代とどれだけ違うか、という話です。AIに聞けば答えが出てくる。暗記は要らないという情報があふれている。そういう世界を生きている子どもに対して、自分が受けた教育の記憶のまま「勉強は大事だ」と言っても、たぶん届かない。

つまり説明する側がまず時代の差を理解しないと、答えは用意できないということです。順番として、これはとても誠実だと感じました。

そして「こんなに便利になった時代に、それでも勉強する意味って何?」というテーマは、まさに今の私自身の疑問でもありました。痒いところに手が届く、という言い方はやや軽いかもしれませんが、正直な読後感としてはそれに近かったです。

※書誌情報:静岡の元教師すぎやま『学校の勉強なんて役に立たないのにやる意味あるの?と子どもに言われたら読む本』KKロングセラーズ/2026年1月27日発売/308ページ/税込1,650円

そもそも「役に立つ」って、どういう意味なんでしょう

ここからは、本の内容を離れて私が勝手に考えたことです。

「学校の勉強は役に立たない」という子どもの言葉。この文には、言われていないけれど強く効いている前提があります。「役に立つかどうか」が、学びの価値を測る物差しだという前提です。

そして面白いのは、この前提を最初に疑ったのが、たぶん哲学だということでした。

アリストテレスは「役に立たない知」を一番上に置いた

アリストテレスの『形而上学』は、こんな趣旨の一文から始まります。

すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。

— アリストテレス『形而上学』第1巻より(訳文は版によって異なります)

知りたいという気持ちは、何かの役に立てるための手段ではなくて、人間に最初から備わっているものだ、という話だと私は読みました。

さらにアリストテレスは、何かの役に立てるためではなく、ただ知ること自体を目的とする学問こそが最も自由な学問だ、という趣旨のことを続けます。役に立たないから低いのではなく、役に立たないからこそ自由で、価値が高い。物差しが完全に逆なんですね。

正直、最初にこれを知ったときは「ずいぶん贅沢なことを言うなあ」と思いました。でも何度か考えるうちに、贅沢というより、これは順番の話なのかもしれないと感じるようになりました。何かの役に立てようとして知ったことは、役に立たなくなった瞬間に捨てられてしまう。でも、面白いから知ったことは、捨てなくていい。

「school」の語源は「暇」だった

もうひとつ、これを知ったとき思わず声が出たことがあります。

英語のschool(学校)の語源は、古代ギリシャ語の「スコレー(skholē)」で、意味は「暇」「余暇」なのだそうです。生きるための労働から解放された時間、という意味だったものが、やがてその時間に行われること——つまり学ぶことそのものを指すようになり、ラテン語を経て英語のschoolになった。

学校という言葉の出発点に、「役に立つ」という発想がそもそも入っていない。むしろ、役に立てなくてもいい時間のことを、人はスコレーと呼んでいた。

だとすると、「学校の勉強は社会で役に立たない」という批判は、私の読み方では批判として少しズレていることになります。刺身包丁を持って「これではネジが回せない」と怒っているような、そんな感じでしょうか。……この例えが適切かは自信がありません(笑)。

「満足した豚より、不満足なソクラテス」——大人にしか分からない理由

この本の帯や紹介文に「人生は伏線だらけ」という言葉があります。子どもの頃に学んだこと、興味を持ったことが、大人になってから思いがけず役に立ったり花開いたりする、という話です。

本当にその通りだと思います。思うのですが、同時に本の中でも触れられているように、これは大人だから分かる理屈なんですよね。伏線は、回収されて初めて伏線だったと分かるものなので。

ここで私が思い出したのが、J.S.ミルのあの有名な一節でした。

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した愚か者であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。

— J.S.ミル『功利主義論』第2章より(訳文は版によって異なります)

ミルはこの直後に、とても大事なことを付け加えています。もし豚や愚か者が違う意見を持つとしても、それは彼らが自分の側しか知らないからだ、と。両方を知っている人の判断のほうが信頼できる、という理屈です。

この理屈を、勉強の話に持ってくるとどうなるか。私なりに置き換えてみると、こうなりました。

「学んで世界の見え方が変わる面白さ」は、一度それを経験した人にしか、比較の対象にならない。

つまり、勉強の意味が子どもに伝わりにくいのは、子どもの理解力が足りないからでも、親の説明が下手だからでもない。まだ片側しか知らないからなのだとしたら、伝わりにくいのはむしろ当たり前ということになります。

これは私自身の実感とも重なります。私が哲学書を面白がれるようになったのは、恥ずかしながら大人になってからでした。その経緯は哲学書を好きになった理由|読書嫌いだった頃の話に書きましたが、10代の私に同じ本を渡しても、たぶん3ページで放り出していたと思います。

ミルの言葉を借りるなら、当時の私はまだ片側しか知らなかった。それだけのことだったのかもしれません。

でも、これを子どもに言ったら「論破」になってしまう

……と、ここまで書いてきて、私は自分でひとつ落とし穴に落ちていることに気づきました。

アリストテレスもスコレーもミルも、たしかに「役に立つのか」という問いに答える材料にはなります。でも、これをそのまま子どもに向けて言ったらどうなるか。

「そもそも君のその問いは、前提が間違っているんだよ」

完全に論破です。しかも、かなり感じの悪い部類の。

そして皮肉なことに、この本が一番避けようとしていたのが、まさにその態度なんじゃないかと私は思っています。著者が丁寧に積み上げていたのは、「子どもに言い返す方法」ではなく「子どもと同じ側に立って一緒に考えるための準備」のほうでした。正しさで黙らせることと、伝わることは別物です。

ここに、私はけっこう本気で悩んでいます。哲学的に正しそうな答えを持っていることと、それを目の前の人に手渡せることのあいだには、ずいぶん距離がある。

今のところの私の暫定的な答えはこうです。アリストテレスやミルは、子どもを納得させるためではなく、まず自分が納得するために読むものなのかもしれない。

自分の中で「勉強の意味なんて自分もよく分かっていない」というグラグラが収まっていない状態で、子どもの問いに答えようとするから、つい正論でねじ伏せたくなる。逆に、自分の中で一度ちゃんと考え切っていれば、「たしかに三角関数は使わないよね」と、いったん受け取る余裕が生まれる気がするんです。

そう考えると、この本のタイトルが『子どもに言われたら読む本』であって、『子どもに読ませる本』ではないことにも、意味があったのかなと。……これは深読みしすぎかもしれませんが。

この本、どんな人におすすめ?

  • お子さんに「勉強する意味」を聞かれて、うまく答えられなかった経験のある方
  • 自分が受けた教育と、今の学校の違いを知っておきたい方
  • AI時代に何を学ぶべきかを、大人として考え直したい方
  • 哲学の抽象的な話を、具体的な場面に接続して読んでみたい方
  • 子どもはいないけれど、「学ぶことの意味」を一度整理したい方

300ページ超とそれなりのボリュームですが、文章が平易なので読みにくさはありませんでした。私は通勤の行き帰りで少しずつ読み進めています。章ごとに子どもの「あるあるなセリフ」で区切られているので、気になる章から拾い読みしてもいいと思います。

なお、哲学そのものの入り口を探している方には、子ども向けの科学の本から入るという方法もおすすめです。そちらは哲学入門に子ども向けの科学の本がいい理由|大人こそ読みたい2冊にまとめています。子ども向けの本が大人にとっても良い入り口になる、という点で、今日の本とも地続きの話かもしれません。

気になった方は、よかったらこちらからどうぞ。

まとめ:答えを持つことと、手渡せることは違う

「学校の勉強は役に立たない」という言葉を入口に、ずいぶん遠くまで来てしまいました。

この本が教えてくれたのは、子どもを納得させる決めゼリフではなく、大人の側がまず時代の変化を理解しないと始まらない、という順番でした。そして哲学の側から見ると、「役に立つかどうか」という物差し自体が、学校という場所の出発点とはもともと別物だった。schoolの語源が「暇」だったという話は、私にとってかなりの衝撃でした。

繰り返しになりますが、私の解釈が正しいかどうかは正直わかりません。アリストテレスの読み方も、ミルの当てはめ方も、専門家の方が見たら首をかしげるかもしれません。でも、自分なりに考えてみること自体に意味があると思っています。それこそが、ソクラテスの「無知の知」的な楽しみ方じゃないかなと。

ちなみに、寄り道させていただいた「哲学と科学の境界線」の話は、次回こそ書く予定です。

最後に、皆さんにお聞きしてみたいことがあります。もし目の前の子どもに「勉強なんて何の役に立つの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか? そして、それは子どもの頃の自分が聞いて、納得できる答えでしょうか。

よかったらコメント欄で教えてください。私はまだ、自分の答えを探している最中です。


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